いよいよ4月25日 伊丹空港より議長、副議長、副市長、広報官 他計7名で仙台へ出発致しました。
仙台空港では米軍の全面協力により、滑走路は整備されていましたがターミナルは出入口以外工事中、みやげ物店はわずかなスペースで2店舗、商品も3種類だけでの運営でした。
道中 空港周辺と海岸付近、そして被災地荒浜地区を視察し、誰もがしばらく言葉も出ない状況でただ立ち尽くすのみでした。
皆様も報道でご承知の通り被災地に入るとまさしく悲惨な光景は津波の威力そのものでありました。
200名余の方々をヘリで救助した現場は、唯一残された4階建の小学校の屋上であり、せめてもの心の救いでありました。
市街地に入ると、今度は一変して震災があったのだろうかと思うぐらい見た目では平常な街の姿に大きな温度差を感じました。
仙台市役所に到着し、早速 仙台市会議長、副議長、その後副市長と会談を行い、神戸から支援の提案を行いました。
余震が続いているようでしたが、仙台市が元気を取り戻すためには復興にも取り組んでいただき観光の盛り上げ、両市でのまつりの交流、仙台・神戸空港の路線復活等の協議が整いました。
具体的にはその後、神戸まつりで東北の物産展や仙台市からパレードの参加が決定しエアラインについては仙台市長から神戸市長へ要望書の受け取りと宮城県、仙台空港ターミナル会社、商工会議所等への空港アクセスによる交流事業の働きかけを行うことになりました。